Spark (スパーク/星火)

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中国人が見た日本:一般的日本人の日常(下)~YD氏の自慢の医学生の娘~

※Noteからの転載です

https://note.com/sparkxinghuo/n/nbfe7cbc8d45c

 

35年間警察官を務めたYDさんは、58歳で早期退職した。 第一に、60代で退職したときにもらえる年金は今と大差ないと考えたこと、第二に、これから老年期を迎え、もっと自由な時間が欲しいという理由からである。

警察の仕事は制約が多く、警備員の仕事を選んだ理由は、自由な時間が増えて家族との時間が充実することと、長年続けてきた趣味を存分に発揮できることだという。 もちろん、こうした趣味を展開するためには、懐が空っぽでは話にならず、何もせず「あぐらをかく」のではなく、お金を稼がなければならない。

もう一つ、YD氏にとって重要なことは、多額の早期退職金を受け取れることだった。 勤続年数、役職、業績に応じて数年分の給与が一括で支給された。 ある日本のフォーチュン500社に勤務していた私の友人は、退職時に6000万円以上の年金を受け取ったが、YD氏の退職金は2000万円から3000万円ほどだという。

しかし、そのお金を遊興費や趣味に使うことはなかった。 医学部に進学した長女は、高い授業料を払わなければならなかった。 欧米と同様、日本でも医師は非常に尊敬される職業であり、給料も高いので、当然、育成にかかる費用も馬鹿にならない。 日本の大学の学費は年間200万円以上と高い方で、医学部なら500万、600万は当たり前と言われている。 警察官の家庭が医者を育てるためには、高い学費を払うことに頭を悩ませなければならないのだ。

幸い、娘は勉強が得意で、大学時代には多くの奨学金を獲得し、親の負担を軽減することができたそうだ。 娘はまた自立しており、YD氏があてにしていなかったにもかかわらず、卒業後に親が払った学費を返済するよう努力すると言ったそうだ。 ただ、卒業後すぐに娘が結婚してしまったこちについては、YDさんの表情は少し無力そうだったが、それでも嬉しそうだった。 なんでも、卒業後に救急センターの医師となった娘は、患者を連れてきた消防士と互いに一目ぼれとなり、すぐに結婚したという。 ちなみに、YD氏の人生の第二の目標は何か。それは、さらに奮闘して「お金を稼ぐこと」だそうだ。 (完)