Spark (スパーク/星火)

日本と中国の理解を促進することを目的としたブログです。

中国人が見た日本:OY氏の背中

https://note.com/sparkxinghuo/n/nedf2b27d061d

※Noteからの転載です

 

下の写真を見てほしい。左手にカバンを持って猫背で歩いているおじいさんは、私が日本に留学していたときの指導教官だった方だ。ここではOYさんと呼ぶことにしよう。

現在84歳、二度ののがんと闘い、奇跡の生還を果たした。 職場が落ち着くと、さっそくOYさんに会う約束をした。

1998年に交換留学生として加わって以来、24年ぶりのことである。 帰国してからも、仕事で日本に行く機会がよくあり、 九州に行くときは、必ずOYさんに会いにいった。

前回お会いしたのは2019年の夏、コロナ前だった。 OYさんの体調は悪化しているようで、今回お会いしたときは「もう長くない」とおっしゃっていた。夫人とは別居したというが、決して関係が悪いからではなく、「倒れたときに救助されたくないから」だという。 OYさんは、そんな頑固な人なのだ。

氏は、日本におけるマルクス主義研究の絶対的な権威の一人であり、数々の著作を残している。 ちょうど2年ぶりに会ったOYさんは、新しいサイン本3冊をサプライズでプレゼントしてくれた。 二度も癌を患い、しかもこのような高齢になっても、執筆活動を続けられている姿に、私もまだまだだと冷や汗をかく思いだ。

氏は偉大な研究者であるだけでなく、有名な社会運動家でもあった。 1960年代から70年代にかけては、九州地方の学生運動のリーダーとして活躍した。 1960年代から70年代にかけて、日本では九州の学生運動のリーダーとして活躍し、マルクス主義理論の研究・実践に優れた業績を残した。

この2日間、彼の新著を読んでみると、やはり批判精神が色濃く出ていて、それは20年前の著作に反映されていた精神と変わらない。 二度の癌を克服できたのも、この強い批判精神と無関係ではないのかもしれない。

20年以上前に師事したとき、勉強から人生まで、常に献身的に教え導いてくれた。 氏の協力がなければ、私の2度目の日本行きは実現しなかったし、今、私が中国と日本を行き来していることもないだろう。 いくら恩返ししても、しきれないほどだ。

カフェで2時間近くおしゃべりをした後、家まで送っていこうと思ったが、その必要はないと言われた。 道路の向こう側に氏の遠い背中が見えた時、私はすでに涙を流していた。 今度は、いつ会えるだろうか。 この時、私の心は勇気に満ち溢れ、氏への最高の恩返しの方法を見つけることができたのだった。

【出典】https://www.toutiao.com/article/7086823341008699919/
【翻訳】Teddy Ven Song