Spark (スパーク/星火)

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中国人が見た日本:中日文化交流の証し「志賀島金印公園」

https://note.com/sparkxinghuo/n/na64585ed3b8a

※Noteからの転載

 

福岡には、2000年にわたる日中間の交流の証拠となる場所がある----それこそ、志賀島であり、この島には「金印公園」がある。在学中、自転車で何度か訪れたことがある。途中、海を渡って島にたどり着く。

海の中道は、左が日本海、右が太平洋で、風や波は左が穏やかで右が荒く、対照的な風景を持つ。

18世紀後半、志賀島の農民が畑を耕していたところ、鍬が硬い石に当たった。掘り起こしてみると、石でできた箱で、中から金印が現れた。 農民がそれを届け出て、専門家が鑑定した結果、その金印は、なんと漢の皇帝から日本の倭国の王に贈られたものである「漢委奴国王印」と確認された。 形状は、中国で出土した南ベトナムの金印に酷似しており、この金印は、日中間の交流を示す最古の物的証拠となった。

1980年、当時の広州市長の楊尚昆が現地を訪れ、記念碑を刻んだ。 碑文には、「湾を挟み、互いを望み、友情は永遠」とある。

 

楊尚昆の碑の隣には、郭沫若の詩碑がある。九州大学に留学していた郭沫若が、よく志賀島に足を運んでいたと言われている。同氏が1955年冬、中国の科学者代表団を率いて日本を訪れ、詩集「訪日雑詠」を完成させた。 国家指導者であり、歴史家であり、文化人でもあった同氏が中日両国の友好と交流の平和詩を更新したのであった。

友人と島をドライブしていると、夕暮れ時の島は静かで気持ちのいいものだった。 車の中で西の空に浮かぶ雲を眺めながら、誰が、どんな理由で、こんな貴重な歴史の証をここに埋めたのだろうかと、ずっと考えていた。

平和が続くことを願う思いが永遠なのと同じように、この謎が解けないかも永遠なのかもしれない。