Spark (スパーク/星火)

日本と中国の理解を促進することを目的としたブログです。

中国人が見た日本:太宰府天満宮放浪記(4)

※Noteからの転載です。

https://note.com/preview/nc5ba91c5558a?prev_access_key=9265c0456343c3ced04805a204aa945f

 

菅原道真は日本で四大怨霊の一人(他の三人は平将門早良親王崇徳天皇)に数えられるため、息災・開運の効果が高いかもしれない。

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幼い頃から才能に恵まれた菅原道真は、宇多天皇に重用され、文人出身の廷臣としては最高位である右大臣にまで上り詰めた。 宇多天皇は、「外戚」である藤原氏との戦いに菅原道真を頼ったのである。

しかし、宇多天皇が退位した後、醍醐天皇は讒言を聞き入れ、菅原道真大宰府に流した。 そうとも知らず、菅原道真は異国の地に取り残され、妻とも別れ、失意のうちに太宰府で59歳の生涯を閉じた。

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菅原道真の死後、平安京は百年以上にわたって異常な現象が頻発し、日食、月食、彗星、地震、落雷、干ばつ、豪雨、大火、疫病などに悩まされ続けた。 菅原道真の霊のしわざと思われたが、天皇北野天満宮への行幸があってから、事態は沈静化した。

それ以来、不遇の文人を祀る天満宮は全国に14,000社以上建てられた。 しかし、菅原道真の怨霊は昇華し、今では学問の守護神となった。 中国人が受験前に文昌帝君廟や孔子廟に参拝するように、日本の学生も受験前に天満宮に参拝し、開運を祈願する。

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2002年の初め、私は九州で最も有名な大学の博士課程を受験する準備をしていた。 試験前に福岡から自転車で十数キロかけて、太宰府天満宮に参拝し、悲願の合格を果たした。 しかし、大学での学業を修めてからも、返礼の参拝はしていなかった。 20年ぶりに再び太宰府天満宮を訪れたが、その締めくくりにふさわしいものであった。

今、本堂の前に立ち、思索は膨らむ一方である。この 苦難の20年間、誰がその喜びを知っているだろうか。 (続く)

 

【出典】https://www.toutiao.com/article/7096040105185411619/
【翻訳】松本忠之