Spark (スパーク/星火)

日本と中国の理解を促進することを目的としたブログです。

中国人が見た日本:たった一度の空港での出会いが、20年の友情に

https://note.com/sparkxinghuo/n/naa0351a01de3

※Noteからの転載です

 

2002年の夏、私は仕事の関係で、中国に一時帰国した。 福岡空港のチェックインカウンターで並んでいると、前にいた老夫婦が、私が中国語で電話をしているのを聞いて、「留学生ですか」と振り返って挨拶をしてくれた。ある学校で勉強していたことを話すと、おばあさんは、自分の夫も同じ学校を卒業したとのことで、私たちは自然と会話に入り込んでいった。

老婦人はとてもおしゃべり好きで、ご主人は高校の化学の先生で、旅行、特に中国が好きで、今回で6回目の中国旅行だという。 飛行機が経由地の大連に立ち寄った際、前年に起きた5月7日の大連航空事故のことが頭から離れず、無事を伝えるため、私は公衆電話カードを購入して家族に電話をかけた。

再び飛行機に乗り、北京に向かう途中、後列に座っていたおばあさんが声をかけてきて、「さっき電話をかけているのを見た」「何度も中国に来ていて、あげる機会をうかがっていた」と公衆電話カードをなんと10枚(1枚50元)も渡してくれた。

 

私が受け取るのを躊躇していると、おばあさんは、「娘が中国に出張した時に、中国の友人からもらったカードだから、持って行きなさい」と付け加えた。 飛行機が北京に到着したとき、老夫婦と一緒に空港の外に出て、彼らのカメラで記念撮影をした。 連絡先を残して、それぞれの行先へ散った。

 

中国での出張を終えて日本に帰ると、郵便受けに北京の空港での老夫婦の写真と、老夫婦の中国での旅を写真入りで紹介した冊子が入っていた。

 

中国人は「頂き物に返礼せずは失礼」にこだわる。 私は特別に中国からマオタイ酒を2本買い(当時大型スーパーで1本240元程度)、老夫婦にお返しに送った。 おばあさんは中国のお酒が好きだと言っていたからだ。 こうして、空港での思いがけない偶然の出会いが、忘れられない友情へとつながっていった。

 

20年間、一度も連絡を絶やさず、家族ぐるみの間柄である。 今回来日して、毎週のように電話のやり取りをしていたが、「今日は友達が来て会う予定でいたのに、友達がコロナにかかって来られなくなった」と語っていた。 かつて周恩来総理は、日中間の人民交流を強化する努力をすべきであると述べた。 知らず知らずのうちに、私もそうした人と人との接点の実践者の一人になっていた。

 

【出典】https://www.toutiao.com/article/7086040409943638569/
【翻訳】Teddy Ven Song