Spark (スパーク/星火)

日本と中国の理解を促進することを目的としたブログです。

中国人が見た日本:太宰府天満宮放浪記(3)

※Noteからの転載です。

https://note.com/preview/ne5c74ac2eafe?prev_access_key=6a20e9aa27ac2b86676456ef1c5f3dd7

 

かつて栄えた太宰府は、中国と日本の文化交流の要所であり、数千年の時を経た今も、中国と日本の文化の共通項を見出すことができる。

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商店街の突き当たりを左折し、鳥居をいくつか渡ると、朱塗りの三世橋が見えてくる。 前世橋と後世橋はアーチ型、現世橋は平型である。 伝説によると、この橋は入ることはできても出ることはできず、引き返すことはできない。

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このような伝説は、中国の仏教や道教に少なくない。 長い歴史を持つこの天満宮には、いたるところに国の重要文化財があります。 三世橋の右手には、長禄2年(1458年)に再建された、海の安全を守る神である海神の、綿津見三桂神を祭った茅葺屋根の神社、志賀神社がある。

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四方を海に囲まれた日本列島は、古来より漁業が経済の中心であり、人々に豊富な肉やたんぱく質を供給してきた。 海神を祀り、航海の安全を祈ることが、一般的な信仰となったのである。 これは、中国の沿岸部における阿媽信仰と似ている。

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さらに進むと、日本で「大道芸」と呼ばれる「サルの曲芸師」に遭遇して驚いた。 現在、日本ではこのビジネスはほぼ消滅しており、中国でも非常に珍しい。 その背景には、野生動物を保護する意識の高まりと、動物が人間の生活の糧として利用されることが許されなくなったことがあるのかもしれない。 もちろん、現代では職業選択の幅が広いことなども関係している。 写真に写っているサルが、日本原産のニホンザルであることは言うまでもない。

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近代日本の思想家、徳富蘇峰(本名・猪一郎)が菅原道真の功績を称えて建てたという、平易な漢字で書かれた碑が目にとまった。 1954年、蘇峰が92歳の時に建立された記念碑である。 蘇峰は幕末、明治、大正、昭和にまたがる思想家で、近代啓蒙思想家の福沢諭吉に次いで、皇国論を唱えた日本の典型的な右翼思想家である。

彼のような思想家の提唱によって、日本は侵略の道を歩み始め、中国を含むアジアの人々、そして世界の人々に計り知れない災難をもたらしたのである。第二次大戦後、92歳だった「年老いた」蘇峰は、碑を建てた時、「悔い改め」をしたのだろうか。 (続く)

【出典】https://www.toutiao.com/article/7095687303078789647/
【翻訳】松本忠之