Spark (スパーク/星火)

日本と中国の理解を促進することを目的としたブログです。

中国人が見た日本:太宰府天満宮放浪記(2)

※Noteからの転載です。

https://note.com/preview/na6273b65431c?prev_access_key=720c1d196fabf53e5e91e20feafa1f0e

 

賑やかな商店街の突き当たりを左に曲がると、天満宮がある。 ここにも長蛇の列ができているが、「梅枝餅」などの太宰府名物を買うためではなく、寝そべったブロンズの牛に触るためである。

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ツアーガイドをしてくれた日本の友人は、コロナ禍前は年間50回以上、中国人観光客を案内していたそうで、この地がまるで掌にあるかのように知っていた。 それほど優秀なガイドがいてくれたので、観光客向けの看板をいちいち確認する必要もなく、質問があってもすぐに答えてもらえた。

太宰府天満宮には大小13体の牛の銅像があり、全部見つけると幸せになれると友人は言っていた。 写真が商店街の端にあるブロンズの雄牛で、ほかにあるいくつかを見つけるのは難しくないが、13体すべてを見つけられる人はなかなかいないだろう。

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牛の銅像に触れるために行列ができるのは、牛には「神通力」があり、調子の悪いところがあれば、牛の該当する部分に触れると病気が治ると言われているからである。 神牛の頭が光っているのは、現代人が一番心や精神に問題を抱えているからだろうか。

似たような状況は、中国の寺院などの観光地でもよく見られる。ある場所では石に触れると、病気や災難が取り除かれるとか、大吉が出るとか、いろいろなことが言われている。 この文化的なメンタリティーは、中国と日本に共通するものだ。

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しかし、なぜ来場者はここで牛に触れ、他の動物には触れないのだろうか。 それには、菅原道真と牛の切っても切れない縁がある。菅原道真は西暦845年、旧暦の丑年に生まれた。 もし、サル年生まれだったら、来場者はサルを触っていたかもしれない。

また、ここに置かれたのは牛であったとしか思えない伝説もある。 菅原道真太宰府で亡くなったとき、棺を京都に運ぶため牛車がこの場所にやって来てが、どうあがいても動かなくなってしまったという言い伝えがある。 人々は、菅原道真がここに葬られたのは天のお告げだと受け止め、祠を建てて、祀ったのだ。

昔は、牛は土地を耕すだけでなく、荷車を引くのにも使われていた。 牛車は馬が引く馬車に比べ、速度は遅いが重量でも運ぶことができる。 したがって、古代の農耕社会では、牛は他の動物よりはるかに有用であった。 牛にまつわる伝説が多いのもうなずける。

中国でも日本でも、織姫と彦星の伝説を知らない人はいないのではないか。 この伝説では、牛にも「神」の力があり、牛飼いはその皮を身につけることで、空へ飛び立ち、機織りの乙女に会うことができるという。 (続く)

 

【出典】https://www.toutiao.com/article/7095314735423472162/
【翻訳】松本忠之