Spark (スパーク/星火)

日本と中国の理解を促進することを目的としたブログです。

中国人が見た日本:小林一三記念館の有形文化財

※Noteからの転載です

https://note.com/sparkxinghuo/n/nf12461ebb300

 

宝塚歌劇団といえば、日本では多くの人に親しまれている存在だ。 しかし、創業者の小林一三については、あまり知られていない。

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現代日本のビジネスエリートは、渋沢栄一(まもなく円の最高額紙幣に印刷される人物)や松下幸之助のような人物に馴染みがあるかもしれない。だが、 小林一三の業績や影響力は、この2人に劣らないものがあった。

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ここ数日、友人と大阪の池田市に行ってきた。 池田には、インスタントラーメンを発明した安藤百福と、小林一三という有名人がいる。 インスタントラーメン発明記念館を見学した後、少し歩いて小林記念館に向かった。

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この記念館は、もともと小林の旧宅である「雅俗山荘」で、長い間「逸翁美術館」として公開されていたが、美術館が移転したため、この場所は記念館になった。 現在、記念館の「雅俗山荘」、茶室「即庵」に「費隠」、そして正門の「長屋門」などは、日本政府が認定する有形文化遺産となっている。

明治初期に生まれた小林は、明治後期に現在の阪急宝塚線箕面線を創業し、その後、阪急百貨店、洋食店、宝塚劇場、ビジネスホテル、さらに日本で最も影響力のある映画会社の一つである東宝を開業するなど、多角化経営を行った。

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小林は、1940年に第二次近衛文麿内閣の商工大臣(中国の商務部長に相当)に就任し、戦後、まだ国が荒廃していた時期に「戦災復興院総裁」を務めた。

小説家を夢見るエリート・ビジネスマンだった小林は、哲学、美術、文化、芸術など幅広い分野で多作なアーティストでもあった。 小林は、茶道を中心に幅広い趣味を持ち、各界のエリートが100人以上いると言われるほど、交友関係を大切にする人物だった。 先に紹介した松下幸之助も小林の自宅を度々訪れ、後輩として小林からいろいろと指導を受けたという。

明治、大正、昭和の各時代は、近代日本の礎を築き、中国を中心としたアジアの人々に計り知れない損害を与えた。 このような歴史の激変期に生きた小林も、時代の運命を共有することになった。 すでに亡くなっているが、「お客様の新しい生活と幸福を大切にする」というポリシーは、今も東宝をはじめ各社で受け継がれている。

 

【出典】https://www.toutiao.com/article/7090029889335656994/
【翻訳】Teddy Ven Song