Spark (スパーク/星火)

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中国人が見た日本:九州陶器巡礼(3)~梶原二郎の展示場

※Noteからの転載です
https://note.com/sparkxinghuo/n/n0335e3663083

 

芸術感に満ちた小屋から、梶原氏の陶器の展示場へ直行した。

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ショールームは一軒家の1階にあり、入り口の上には、弟子が辞めるときにもらったという真新しい木のプレートがかかっている。 扁額は右から「小石原焼 ∧+o(記号は上下に連なるに)窯」と書かれている。 当初、この「∧+o」という字は、「焼」と「窯」の間に「合」の字の横線が一本少ない字かと思ったが、よく見ると違うので店主に聞いてみると、これは梶原二郎の窯元のマークで、下に丸、上にアーチ型の折り目があり、人の目や眉のように見えるのだ。

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記号だと知り、今度はいわゆるロゴマークかと思った。店主によると、当初はただのマークだったが、「複数の工房が同じ窯で焼かなければならない時、混乱しないようにシンプルでわかりやすい各家のマークを作った」とのことで、今ではそれが転じて確かに企業のロゴマークのようになっているという。 それを聞いて合点がいった。 梶原家の隣人、梶原藤徳のシンボルマークは、「眉」の下に横線を引いたものだそうだ。

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展示スペースはとても広く、展示ケースや周囲の壁には、代々の陶芸家が積み上げてきた宝物である自家製陶器がずらりと並んでいる。

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その一角にある瓶には、右から左へ「醤油」と書かれ、「丸の中に文字」の記号が書かれている。 店主によると、これは100年くらい前の古いもので、先祖の話によると、梶原家で醤油を売っていた店が使用したロゴマークで、当時、こういうことはごく一般的なものだったそうだ。

現在、醤油はガラス瓶やペットボトルできれいに並べられてスーパーで売られており、使ったら捨てるので、瓶を大切にする人はいないだろう。100年以上前のこの醤油瓶を見ると、当時の主婦たちが、醤油の価値よりも瓶の価値の方が高いので、割れないようにそっと持ち、置いている様子が目に浮かぶようだ。 醤油がなくなると、主婦は空の瓶を持って子どもたちを店に送り、醤油を買わせた。

今はもう、その瓶を使った人の名前はわからないが、このような瓶を通して、人は歴史に足跡を残したのである。 100年の変化の中で、私たちは物質的に豊かになり、もう二度とこのような経験をすることはないかもしれない。 (続く)

 

【出典】https://www.toutiao.com/article/7102984164483318312/
【翻訳】松本忠之