Spark (スパーク/星火)

日本と中国の理解を促進することを目的としたブログです。

中国人が見た日本:国会議事堂訪問録(その2)

※Noteからの転載です

https://note.com/sparkxinghuo/n/na37a2fb5548e

 

国会議事堂の正面玄関を出ると、フェンスに囲まれた、かなりの広さの中庭がある。 中庭にはさまざまな樹木があり、樹木の下には樹種名とその横に都道府県が書かれている。

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不思議に思っていると、日本人の友人が「47都道府県の木だから、産地が書いてあるんだよ」と教えてくれた。 たしかに政治の中枢には、何らかの形で「全国」が反映される必要がある。

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しかし、考えてみれば、南北に細長い領土を持ち、亜熱帯から寒帯までの気候を持つ日本で、全国から特定の樹種を東京に移植することは、気候風土という意味で考えものであったに違いない。

先日、初代天皇である神武天皇が戴冠したとされる橿原神社を訪れた際、神社の隣に明治時代に造られた植物園があり、全国から集められた樹木が植えられていた。

大連市旅順の白玉山には、日露戦争後に日本兵が建てた日本侵略の証である白玉山塔がある。 塔の下の説明文には、塔の基部の石以外は日本全国から集めた石材であると書かれている。 日本には古くから、国中の資材を一カ所に集めて名所や風景を作る習慣があるようだ。 近代国民国家の形成期には、「収集活動」はまさに愛国心と国民統合を促進する重要な手段であったのだ。

木陰の中庭には、左右に高さ2~3mの銅像があるが、私たちは参議院だけを見学したため伊藤博文公の銅像だけを見た。

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1909年にハルビン駅で朝鮮人武将の安重根に暗殺された伊藤侯爵は、死後「伊藤公」の称号を与えられた。 議事堂の内外には、この日本初の「内閣総理大臣」の像があり、日本の近代史における彼の位置づけを表している。

実際、太政官制度を廃止し、自ら初代総理大臣に就任しただけでなく、初代枢密院議長、明治憲法創始者となった彼は、ある意味で「近代日本」を創り上げた人物であった。 この憲法は、軍事介入を制限することができず、結果的に日本を侵略の道に走らせ、中国に代表されるアジアの人々に計り知れない不幸をもたらし、同時に一般の日本人も戦争による被害者にしてしまった。 伊藤自身は、憲法を設計したとき、このような結果を想定していたのだろうか。 (続く)

 

【出典】https://www.toutiao.com/article/7092139527522812431/
【翻訳】Teddy Ven Song