Spark (スパーク/星火)

日本と中国の理解を促進することを目的としたブログです。

中国人が見た日本:日中友好の架け橋~関門橋へ

※Noteからの転載です
https://note.com/sparkxinghuo/n/n84377cd82f90

 

ISさんは岡山県から新幹線で小倉まで移動し、トヨタカローラを借りて、私の職場まで迎えに来てくれた。

ISさんと私は共通の友人を介して知り合った。ここ2年はネット上でのみ連絡を取り合い、直接会うことはなかった。20年以上前、ISさんは私が留学及び勤務していた街に住んでいた。合流すると、ISさんは留学時代の思い出をたくさん話してくれた。

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九州最北端の門司から関門海峡を渡り、本州最南端の下関に到着した。昼には、下関条約が結ばれた場所を見学した後、関門橋を遠くに見ながら海岸に直行した。

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全長1000メートルを超える関門橋は鉄橋で、1973年の建設当初は東アジアで最初の橋だった。夜景で有名な北九州では、この橋が夜景のメインスポットの一つとなっている。左右の両市を下関と門司と呼ぶことから、関門橋と呼ばれるようになった。 しかし、なぜ「下関大橋」と呼ばないのだろう。橋ができる前からこの海峡は「関門海峡」と呼ばれ、「関門橋」という名称で合意されていたからかもしれない。

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この橋の形はアメリカ・サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジを彷彿とさせるが、私の中では、大学時代に大連の濱海路のナイトツアーで歩いた「北大橋」ほど印象深いものはない。
大連と北九州は政府指定の友好都市であり、両市の友好を深めるため、1984年に3年の歳月をかけて北大橋が建設された。 形状を見れば、北大橋は関門橋を模して設計・建設されたことがわかるが、長さは200m強と関門橋よりはるかに短い。北大橋は、その実用性以上に、両都市の友好のシンボルでもあるのだ。

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国と国、民族と民族、さらに人と人との友情は自然に生まれるものではなく、人が動かし、人が介在する必要がある。 よく言われるように、「友情の架け橋」になる人たちだ。北大橋を渡り、関門橋を渡った。そして、ISさんと私の間にも、すでに心の中に友情の橋が架かっていたのである…。

【出典】https://www.toutiao.com/article/7103525271558619683/
【翻訳】松本忠之