Spark (スパーク/星火)

日本と中国の理解を促進することを目的としたブログです。

中国人が見た日本:博多紀行その四~日本に肉まんを持ち込んだのは誰?

※Noteからの転載です
https://note.com/sparkxinghuo/n/n1ce0bada0260

 

博多の千年門を入ると、幅十数メートル、長さわずか百八十メートルの、車の通行が可能なスレート舗装の道路があり、道が古いお寺である承天寺を二つに分けている。山門と仏殿は西南側に位置し、方丈堂と墓地が東北川にある。

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この道路が開通したのは、1963年に博多駅が移転し、市街地用として再計画されたときである。 道の右手にある小さな門を入ると、中国から日本に麺類が伝わった歴史を記した3つの石碑が並んでいる。3つの石碑には「ワンタンとソバの発祥地」「お饅頭所」「満田弥三衛門の碑」と漢字で刻まれている。

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史料によると、1241年、承天寺の開祖である聖一国師円爾辨円が麺類を日本に持ち帰ったとされている。 聖一国師は1208年に生まれ、若いころ南宋において、有名な儒教僧、無准師範禅師に師事していた。

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帰国後、説法中のある日、通りかかった茶店の主人から手厚いもてなしを受けた。 感謝の気持ちから、宋から持ち帰った饅頭の作り方を店主に教え、「お饅頭所」の看板を書いて送ったという。 この看板は現在も保存され、東京の虎屋に保管されているという。 真ん中の石板の文字は、扁額体である。

もちろん、日本に饅頭が伝わった話は他にもある。1349年、京都建仁寺の龍山禅師が中国留学から帰国した際、同行していた仏弟子の林浄因が奈良に移住し、日本女性と結婚して、饅頭作りを始めたというものだ。

現在、奈良の漢国神社には饅頭の伝来を記念した神社があり、毎年4月には「饅頭祭」が開催されている。 しかし、この神社は1949年に建てられたもので、それほど古いものではない。

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いずれにせよ、中国から日本に饅頭などの麺類が伝わったのは、中国に留学した「学僧」が関係している。 この3つの石碑は、中国と日本の食の文化交流の記録である。

ちなみに、満田弥三衛門は宋から聖一国師とともに帰国した人物で、織物、麝香、乾麺、金箔、朱肉などの製法を日本に持ち帰った。これらの方法は、現在も博多の地で受け継がれており、最も有名なのが「博多織」である。 そのため、この地に満田弥三衛門の碑が建てられたのである。

「民は食を以て天と為す」の中国人は、今や世界中に中華料理店を開いている。 こうした海外の中国料理店は、林浄因を先祖と仰ぎ見るだろうか。

 

【出典】https://www.toutiao.com/article/7098837446556746255/
【翻訳】松本忠之