Spark (スパーク/星火)

日本と中国の理解を促進することを目的としたブログです。

中国人が見た日本:橿原神宮訪問記(その1)

※Noteからの転載です

https://note.com/sparkxinghuo/n/n865054250391

 

私は、奈良に行くときはいつも橿原ロイヤルホテルに泊まるのですが、そのホテルの近くにある橿原神宮を見る機会をうかがっていた。4月末のある日、春風さわやかな天気のいい日の早朝、歩いて橿原神宮を訪れた。

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遠くから見ると、神社の前後に中国の山門に似た2つの「開」の字の鳥居がある長い神道が見え、これが外郭へと入る目印になっている。 参道の両側には、参拝者が奉納した「献灯」が2列に並んでいる。

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砂利を踏みしめながら歩くと、カラスや鳥の鳴き声、車や電車の走行音などが美しい朝のシンフォニーを奏でている。 日本には大小さまざまな神社があちこちにあるが、橿原神宮は特別だ。

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神社の社は、このクラスになると明らかに「天皇陛下」などの主要人物に関連がある。 橿原神宮は、初代天皇である神武天皇がここで即位し、「万世一系」の皇統が始まったとされるなど、その地位と影響力は極めて異例なものである。

神武天皇が実在の人物であったかどうかは、学問の世界ではいまだに議論が続いている。 7世紀以降に書かれた日本最古の歴史書である「日本書紀」や「古事記」では、神武天皇の治世は紀元前660年までさかのぼる。 現在でも天皇陛下が在位された年を和暦の元年としているため、2020年は2680年の通年となり、祭りは大盛況となる。

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もちろん、日本の歴史を見ると、この区分はどうしても大げさにすぎるし、秦の始皇帝の時代と言われれば、ある程度は納得がいくだろう。 台湾の姓学者による広く知られた論文によると、神武天皇は秦の始皇帝の時代に不老不死の薬を求めて蓬莱仙人島へ行った徐福の可能性があるという。 司馬遷の『史記』には徐福の伝記があったというが、司馬遷が『史記』を書き始めたのは徐福が日本に渡ってから70〜80年後のことであり、歴史上に徐福という人物が確かに存在したことは間違いではない。 (続く)

 

【出典】https://www.toutiao.com/article/7090524427535778304/
【翻訳】Teddy Ven Song