Spark (スパーク/星火)

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中国人が見た日本:インスタントラーメン発祥の地を訪ねて(後編)

https://note.com/sparkxinghuo/n/n83c0e715cb22

※Noteからの転載です

 

このインスタントラーメン発明記念館では、日本の「職人魂」に最も感銘を受けた。

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小さな工房からスタートし、日本で初めてチキンラーメンを作り、やがて時代の流れに沿い、常に新しいアイデアを模索しながら、地球を飛び出し、宇宙にまで進出したのだ。 一本の麺から始まったものが、やがてひとつの文化になったのである。

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戦後の日本、食べるものがない人々のお腹を満たすために、百福はインスタントラーメンを発明した。 百福の言葉では、「食」がすべての原点であった。 こうして、1958年8月25日、世界初の「チキンラーメン」が誕生した。

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百福は、インスタント食品の開発にあたって、「おいしさ」「安全性」「簡便性」「賞味期限の長さ」「安さ」の5つを目標に掲げた。 以来、インスタント食品は「台頭」し、1971年には専用の容器に入った「ボウル」や「カップ」麺が登場する。

 

テレビの普及と大衆文化の急速な発展により、インスタントラーメンは人気を博し、百福はテレビで大々的に宣伝するようになり、大手スーパーマーケットでも見かけるようになった。

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同時に、職人工房での加工方法を変え、工場での大量生産が始まり、価格を下げるだけでなく、規格を統一し、品質を確保することができるようになった。

百福は発展を止めない。彼の言葉に「味覚に国境はない。風土や文化の違いを理解しなければ、国境を越えることはできない」とある。 だから、その国の伝統的な味覚に合わせる努力が必要なのだ。その結果として、アフリカの貧しい人々はアフリカ風にアレンジしたインスタントラーメンを食べることができ、宇宙飛行士は宇宙で「食事」をすることができるのである。

1983年、百福は個人資産をもとに「日清スポーツ振興財団」(現・安藤スポーツ・食文化振興財団)を設立し、同社の技術を無償で普及させるなど、積極的に社会貢献活動を行った。 また、日本ファーストフード工業会などの組織を設立し、商品の品質向上や特許・商標の保護に努めた。

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記念館を出たとき、おそらく最も印象に残るのは、インスタントラーメンの味ではなく、百福がインスタントラーメンを通して広めている食文化、サポート支援文化、健康思考、そして世界平和の思想ではないだろうか。
インスタントラーメンを食するとき、これらのことを思い浮かべることがあるだろうか?

 

【出典】https://www.toutiao.com/article/7088801467385020969/?log_from=3e52e0520808a8_1652190660226
【翻訳】Teddy Ven Song