Spark (スパーク/星火)

日本と中国の理解を促進することを目的としたブログです。

中国人が見た日本:世紀の梟雄(きょうゆう)張作霖とモンゴル軍の供養塔

https://note.com/sparkxinghuo/n/nccfbf76d72e0

※Noteからの転載です

 

福岡県志賀島にあるモンゴル軍の記念塔の前に、中国語と日本語で刻まれた長方形の石板がある。

中国語の転写は次のようになる。

大日本志贺岛蒙古军供养塔赞

卓哉大慈氏,法身遍尘界。普瞩四天下,作一家族视。冤亲奚足论?平等无为别。何意忽必烈,渡海兴雄师。被馘诸健儿,荒原血长碧。博多大海湾,往往髑髅哭。迄今六百载,遗塚多湮没。大德高锅师,至仁被幽显。改建此浮图,冥魂获依托。并藉信仰诚,广造和平福。俾亚细亚洲,蒸为太和宇。我知大师意,请为宣其蕴。欲谋大和平,首除人我相。众生执我有,究竟我安在?知彼虚空云,斯须就澌灭。四大本皆空,何论一枯骴?枯骴亦虚空,敌我何畦畛?以此大智慧,宏拯诸鬼趣。无我无敌人,一切皆度脱。推此悲悯心,普及于东亚。为谋和平故,开显无上法。煌煌法华文,塔畔森布列。宏阐日莲宗,天人尽欢喜。此塔不可毁,此愿无终讫。我今作此赞,两泪霑胸臆。顾以此因缘,消灭修罗劫。中日同种族,文教通沆瀣。庶体释尊慈,左右长提挈。顺逆证一如,回向于佛道。前路共蕃荣,实祚永无替。(原文无标点)

碑文には「中華民国東三省警備総監張作霖」とある。

塔の下の日本語には、中国語の全訳に加え、碑文の説明があるが、張作霖の称賛文が刻まれていないのは、当時は碑文を建てることに重きを置いていたからであろう。 署名から、この碑文を書いたのは、世紀の梟雄(きょうゆう)、東北の張作霖であることがわかる。

碑文の日本語訳

第一次奉直線層(1922.4-5)の敗北後、張作霖は東三省の巡閲官の任を解任され、同年10月に「東三省警備司令官」を自分で名乗るようになった。 そのため、碑文には「東三省警備司令官」と書かれている。 モンゴル軍の供養塔は1927年に建てられたもので、碑文はその後に書かれたはずである。 この碑文は、誰が何のために張作霖に依頼したのかは、これから調べねばならない。

日本語訳の中に、原文は『大アジア人』314号に掲載されたものとあり、これが研究の手がかりになるかもしれない。 東北から身を起こした張作霖は、日本とはつかず離れずの関係を持ち、日本なしには名を馳せることはできなかったが、最後は日本人の手によって死を遂げることになる。 供養塔は1927年9月に落成しており、この「称賛の塔」はそのあとに建てられたと思われるが、翌年の1928年6月に張作霖は皇姑屯で死去している。

20世紀前半の目まぐるしく変化した歴史は、すでに過去のものとなり、かすんでしまっている。 志賀島に「蒙古襲来」と「日中間の仏教遺産」に関する張作霖の署名入りの碑文が残っているとは思わなかった。一衣帯水の中国と日本の関係は、「切っても切れず、しかして整えても乱れる」ものだ。 双方が協力・努力し、苦労して手に入れた平和の果実を大切にしていくことを切に願う。

 

【出典】https://www.toutiao.com/article/7083055845491130915/
【翻訳】Teddy Ven Song